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【エッセイ#10】 「バーバンクの魔術師」

 1937年12月の特別上演パーティー。いままで映画館では場つなぎの短いお笑いでしかなかった単なる「動く漫画」から、アニメという新しいエンターテイメントが誕生しました。それぞれのキャラクターに個性を与え、スクリーン上の動きにあわせて音楽が演奏されます。タイトルは「白雪姫」(Snow White and the Seven Dwarfs)。まったく新しい娯楽文化の誕生です。その制作費は当初25万ドルを予定していましたが、プロデューサーであるウォルトの情熱が完璧を求め、妥協を許さない制作姿勢は最終的に150万ドル近くの費用を必要としました。もっとも「白雪姫」は、封切り後短期間のうちに8億ドルを超える収益を挙げることになったのですが・・・。


 ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)は1901年12月5日、シカゴに生まれました。17歳のとき赤十字に志願したウォルトは占領軍としてフランスに渡ります。彼の描くマンガ絵が仲間にウケ、帰国してからは漫画家になろうと決心しました。アニメ制作会社に就職したウォルトは、そこで天才的なアーティスト、アブ・アイワークス(Ub Iwerks)と出会います。やがてふたりは独立し、「シンデレラ」などのおとぎ話をコミカルにしたアニメ制作を始めたのです。しかし不運もあって会社は破綻。ハイウッドへ移り、ビジネスアドバイザーでもあった兄とともに新たな会社を設立しました。そこから生まれたウサギのキャラクター、オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットが大人気。ところが仲間の裏切りから配給会社にキャラクターの商標を独占され、ウォルトは再び一からの出直しを余儀なくされました。

 この事件に落胆していた頃、彼は小さなネズミのスケッチを描き、モーティマー(Mortimer)と名付けましたが、「もっと親しみやすい名前がいいわ」と言ってウォルトの妻がつけた名前は、ミッキー(Mickey)でした。ウォルトはミッキーに個性を与え、相棒のアブ・アイワークスがキャラクターデザインをしました。

 意外なことに、その後大成功を納めたキャラクター「ミッキーマウス」が映画の主役として活躍したのは、長いディズニーの歴史の中のわずか25年間でした。スマートすぎるキャラクターはお笑いのための三枚目役者にはなれず、怒りん坊のドナルド・ダック、間抜けなグーフィ、そしてトラブルメーカーのプルートといったキャラが誕生、ディズニー・アニメの主役になっていきました。それでも人々を引きつける魅力はミッキーが一番。ウォルトは自らの成功を「全ては一匹のネズミから始まった」と後に語っています。

 ミッキーの成功をきっかけにディズニー社は大きく成長していきます。第二次世界大戦がはじまると、国のために利益を得ずに戦争のための広報映画に取り組む一方、「バンビ」や「ダンボ」などの長編アニメの制作も続けていました。しかし戦後は大きく方向転換し、会社の機動力の大部分を子供のための実写教育番組や自然をテーマにしたTV向けドキュメント番組の制作に向け始めます。さらには、「せっかくハリウッドを訪れた人たちが、なにも観るものがなかったと落胆して帰っていくのは悲しいことだ」と、巨大アミューズメントパークの建設へと視野を広げていきました。


 ウォルト・ディズニーとはどんな人物だったのでしょうか?彼の人となりについては意見が分かれます。「バーバンクの魔術師」、「20世紀のイソップ」などと賞賛する声があれば、「昔ながらの動画を消し去った破壊者」、「彼は作家ではない、実業家だ」という声もあります。一緒に働いた人たちはウォルトについて、とにかく複雑な人物だったと口を揃えて話しています。新しいものを生み出す独創性を持ち、完璧主義で、頑固で、冷淡な面がありました。そして、子供の頃に欲しかった蒸気機関車のおもちゃを自分にプレゼントして喜ぶような、無邪気な面もありました。ただ、金儲けのために仕事をこなすようなことはなかったようです。華やかなハリウッドのなかで、ウォルトは決して派手な人間ではなかったのです。




「Pixer」

 1986年、ジョージ・ルーカス率いる「ルーカスフィルム社」のCG部門をスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が10億円で買収し、「Pixar社」を設立しました。正式名称は「Pixar Animation Studios」です。このときスティーブは、経営陣の謀反により自ら設立したアップルコンピュータ社を追い出されていました。当時のアップル社の社員たちは、スティーブについてこんなコメントを残しています。

 「ジョブズを罵倒したくなるような話は誰にでもある」
 「クリスマス休暇から戻ってきたらすぐに全員を解雇すると伝えたんだ」

 しかし一方では「彼は自分のやり方で会社を経営している。すべての人が賛成しているわけではないが、それがアップル社を存続させる唯一の方法なのだ」という意見もありました。高い目標と完璧主義、常識を越えた独創性から、スティーブはまわりの人々にきつくあたることがあったようです。

 アップル社はその後「あんな経営不振じゃ、まもなく倒産するだろう」と言われるほどに業績が低迷、追い出したはずのスティーブを呼び戻し、後に最高経営責任者として会社の再建を託します。スティーブは年収1ドルでこの話を受け、アップルの暫定経営責任者に就くことになります。

 「そもそも大金を稼ぐためにアップルに復帰したわけではない。私は25歳のとき純資産が1億ドルもあった人間だ。アップルに戻ったのは、自分のつくった会社が倒産の危機にあるときに、何かできることがあれば、と思ったからだ。実質無報酬でも戻って良かったと思っている

 アップル社に戻った後も、スティーブはPixerで働き続けました。毎年CGを使った数々のCM作品を制作・発表しながら業績を積み上げ、1995年、初めて全編CGによる長編アニメ「トイ・ストーリー」を成功させると、「バグズライフ」「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」と連続して大ヒットを出し続けています。これらの作品はすべてディズニー社との提携の元に制作が行われました。

 ところで スティーブ・ジョブズの人物像は、ウォルト・ディズニーのそれとよく似ていると思いませんか?


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2009/11/28(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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