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【エッセイ#12】 「ラバ遣いが観た宇宙」

 ロサンゼルスの郊外、ウィルソン山にある天体観測ドームには1909年の開設当時には世界一の性能を誇った反射望遠鏡が納められています。さらに1917年に建設された口径257cmのフッカー反射望遠鏡は、その圧倒的な性能からアンドロメダ星雲までの距離の測定に使われました。このとき初めて、この明るい星雲が私たちの銀河の外、遙か彼方に位置していることが明らかになったのです。

 この望遠鏡のもう一つの大きな業績は、宇宙は今でも膨張し続けていることを明らかにしたことでした。そしてそれを発見したのはウィルソン天文台の建設当時、ラバ遣いとして建設資材を山の上に運んだ青年だったのです。


 ウィルソン天文台は山の上につくられた世界で最初の大型観測ドームでした。街の灯りが届かず、空気の澄んだ場所に天文台を建設するためには険しい山の上に多くの資材を運び上げなければなりません。整備された道路も大型トレーラーもなかった当時、望遠鏡の精密機械、大きく重量のある光学機器、そして天文学者たちを運んだのは足の強いラバでした。

 ラバの隊列を先導したのはミルトン・L・フマーソン(Milton Lasell Humason)。ミネソタ州に生まれた彼は、高校進学を自ら放棄するとカリフォルニアにやってきてラバ遣いになりました。いつもかみタバコをかみながらラバを引き連れていたミルトンは、とても頭が良く好奇心の旺盛な若者でした。ギャンブラーとしての腕もよく、ビリヤードの名手でかなりのプレイボーイだった彼は、それでもラバ遣い以上のものになろうとは考えませんでした。

 しかし根っからのめずらしもの好きのミルトンは、自分が山の上に運び上げたモノがいったいなんなのか知りたくて、いつも技術者を質問責めにしていました。やがてその技術者の娘と仲良くなった彼は、そのまま天文台で働くことを決意します。天文台の雑巾がけやガードマンとして働いていましたが、器用なミルトンは望遠鏡の操作も覚え、いつしか技術者の手伝いもするようになっていました。

 ある夜、技術者が「病気なので観測を代わってくれないか?」とミルトンに頼みました。そしてミルトンは器用に望遠鏡を操り見事な仕事をしたのです。これをきっかけに彼は天体望遠鏡操作員兼観測助手に就任したのです。

 そんなある日、ウィルソン天文台にエドウィン・P・ハッブル(Edwin Powell Hubble)がやってきました。現在、彼の名前はNASAの宇宙望遠鏡の名称にもなっているのでご存じでしょう。ハッブルは、シカゴ大学を卒業後イギリスに渡り、オックスフォード大学に留学、アメリカに戻ってからは弁護士として働いていたこともあるエリート。ミルトンとはまったく違う経歴の持ち主でしたが、天体望遠鏡の前で、ふたりは最高のコンビでした。

 ミルトンは遠く離れた銀河のスペクトル写真を撮り続けました。光を虹色に分解して写真に焼き付けるスペクトル写真を使えば、光を発している光源、つまり銀河が地球から観てどの方向に移動しているのかがわかります。ハッブルはミルトンの撮影した写真をもとに、すべての銀河が地球から遠ざかっていることを発見します。しかも遠い銀河ほど高速度で遠ざかっているのです。この発見から後に「ハッブルの法則」が生まれ、ビッグバンの発見に繋がります。

 ミルトンの撮るスペクトル写真は世界最高水準でした。彼の腕の良さはすぐに世界中に認められ、ウィルソン天文台の正規職員となります。物理学を学び、多くの価値ある観測を行い、それらが認められて1950年、スウェーデンのルンド大学から名誉博士号を受けます。その後、ウィルソン天文台をはじめパロマー天文台の天文学者に就任、世界の天文学者たちから尊敬されるようになりました。中卒のラバ遣いの青年は、世界的天文学者となったのです。




「JPL」

 木星や土星、遠くは冥王星を目指して飛んだボイジャー。火星に初めて着陸し、その地表の写真を送ってきたバイキング。これら無人惑星探査機はアメリカの航空宇宙局(NASA)により打ち上げられ、その後の飛行から惑星への接近もしくは着陸、観測などのコントロールは、すべてパサデナにあるジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratry:JPL)で行われています。最近では火星探査機オポチュニティやガリレオ木星探査機、カッシーニ土星探査機などのニュースでJPLの名前を聞いた方もいらっしゃるでしょう。

 1977年、太陽系の惑星を訪ねつつ遠く恒星間宇宙への旅に出たボイジャーには、多くの観測機器と一緒に人類の姿を描いたレコード盤が積まれていました。このレコードにはさまざまな言語によるあいさつの言葉と、地球を代表する音楽がいくつか記録されています。もちろん地球の位置を示した地図と、レコードの再生方法についても記号を使って説明されています。

 このレコードを積んだ目的はなんだったのでしょう?ボイジャーが太陽系を離れた後、他の惑星系を訪れる確率はほとんどゼロです。おそらくなにもない恒星間宇宙を漂い、数億年かけて銀河系を一周するだけです。途中、隕石に衝突して分解してしまうかもしれません。

 それでも高度な科学文明をもった異星人が、宇宙を漂う人工物を見つけて拾い上げるかもしれない。そんなとき、挨拶の一つもしておきたい。そんな願いから、わずかな積載重量が設計に大きく影響するにも関わらず、このレコードを積み込むことになりました。提案したのは当時の惑星探査チームのリーダーのひとり、コーネル大学のカール・セーガン博士でした。

 ボイジャーは数年前に冥王星の軌道を通過。そして「まだ生きてるよ」と地球に向けて信号を送ってきました。




★ Websites

 「Jet Propulsion Laboratry

 カリフォルニア工科大学にあるジェット推進研究所(JPL)のサイト。惑星探査の歴史や探査機から送られてきた写真も見られます。JPLは定期的に一般公開していますが、すべて予約制。予約は電話でしか受け付けておらず、しかも半年以上前からの予約が必要です。外国人の入場にはパスポートの提示を求められます。

★ Books

 惑星へ〈上〉
 惑星へ〈下〉
 (朝日文庫)


 惑星探査機ボイジャーとガリレオ。その観測結果をもとにカール・セーガンが太陽系の惑星を紹介します。上下巻あります。



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2009/12/12(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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