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【エッセイ#14】 「Mickey D's」

 高校を中退したレイ・クロック(Ray Kroc)は、楽器店の経営、紙コップ会社のセールスマン、ラジオ局でのピアノ演奏、不動産屋、バンドでの巡業などといった職業を転々としながらビジネスチャンスを狙っていました。紙コップ会社でトップセールスマンにまで上り詰めたレイでしたが、ミルクシェイクをつくるためのマルチミキサーを発明すると、全米での販売権を手に独立します。36歳の時でした。しかし第二次世界大戦が始まるとミキサーに必要なモーターの製造がストップし、苦しい経営が続いていました。

 レイがミキサーの製造・販売で独立した2年前の1937年、パサデナに小さなドライブイン・レストランがオープンしました。その頃ドライブイン・レストランは西海岸でブームになりつつあり、この小さなレストランもその波に乗って大成功を納めます。3年後には新興住宅地のサンバーナディーノ(San Bernardino)に進出、店を経営していたマックとディック・マクドナルド兄弟は、街で屈指の金持ちとして知られるようになりました。

 しかしマクドナルド兄弟のレストランにも問題はありました。若いウェイトレスを目当てに若い連中が店にたむろし、家族連れの客に敬遠されがちでした。また、注文を待つためのクルマの列が駐車場に延び、もっと効率のいい経営が必要とされていたのです。

 そんなある日、マクドナルド兄弟は突然店を閉めてしまいます。そしてレストランの経営を見直しました。過去3年間の売り上げをみると、そのほとんどがハンバーガーでした。そこでハンバーガーを中心に調理システムの効率化を考えます。まずウェイトレスを解雇しセルフサービス方式を導入。メニューの数を半分以下に減らし、ハンバーガーのサイズを1割ほど小さくし、そのかわり値段を半額にまで下げました。さらに客からの注文をあらかじめ予想し、前もって調理を済ませておくことで30秒以内に客に商品を渡せるようにしました。また、友人のエンジニアに頼んで、一回押すと決まった量のケチャップがでてくる機械を考案するなどありとあらゆる効率化を進め、レストランを再びオープンさせるまでに3年も費やしたのです。そして店を再開させると売り上げは以前の4割も延びました。兄弟はこのレストランの経営システムを「スピーディ・サービス・システム」と名付け、フランチャイズとして売り出しました。


 ところでマルチミキサーを売っていたレイですが、ソフトクリームが流行る中、売り上げが思うようにあがらず悪戦苦闘の日々を送っていました。一件の店に売れるミキサーはせいぜい1,2台、それも一度売ったら10年は壊れずに動く製品でした。

 そんなある日、一度に8台ものミキサーを注文してくる店がありました。マクドナルド兄弟のハンバーガー店でした。レイは早速その店を訪れますが、駐車場に着いたとたんに驚かされました。昼時、店の前は客のクルマであふれかえり、カウンターには100人以上もの客の行列、そして店員たちは15秒ほどで1人の客をさばいていきます。さらに驚いたことに、客の3人に1人がミルクシェイクを注文していたのです。

 「こんな店がたくさんあったら、ミキサーが飛ぶように売れるに違いない」

 レイは店をチェーン店として全国に広げないかとマクドナルド兄弟に商談を持ちかけます。しかし兄弟は「今の生活に満足していること」と「事業拡大のための資金がないこと」を理由になかなかYESとは言いません。そこでレイは、自分が代理人としてチェーン店募集を行うこと、そして資金も調達してくることを条件に契約を結びました。レイ・クロック52歳の時です。

 レイはまずシカゴに加盟権販売会社「マクドナルド・システム」を設立、5年間で250件の加盟店を集めました。店にはどこも大きな黄色い「M」のマークを置き、マクドナルドは「Mickey D's」というニックネームで呼ばれるようになります。また、マクドナルドのフランチャイズ権を買って経営する店のひとつにサーカスのスポンサーがあったのですが、サーカス一座が解散するとそこのピエロ、ウィラード・スコット (Willard Scott) を「ロナルド・マクドナルド」 (Ronald McDonald) の愛称でマクドナルドのマスコットとして売り出したのです(日本ではドナルドと呼ばれています)。こうして子供を中心に、アメリカの家族向けハンバーガー・レストランが誕生したのです。

 ところでレイの成功で大金持ちになったマクドナルド兄弟は、もうこれ以上働くこともないだろうとマクドナルドの全権を270万ドルでレイに売ってしまいます。レイは投資家から集めたお金でマクドナルドを手に入れました。ちなみに、もしもマクドナルド兄弟が今でも権利を手放さずに持っていたら、毎年1億8000万ドルの収入になったそうです。




「Big Mac index」

 マクドナルドのあるフランチャイズ店でアルバイトとして働いていたフレッド・ターナー、やがて店の副社長となると、業務の効率化、マニュアル化に腕を振るい、その能力が認められて本社採用になります。そして1968年、レイ・クロックの後を引き継ぎマクドナルド・コーポレーションの社長に就任。これを境にマクドナルドは本格的な成長時代へと入りました。

 その2年後、マクドナルド日本1号店がオープン。西側諸国だけではなく、ロシアや中国にもフランチャイズを広げていきます。日本やアメリカではジャンクフードと呼ばれ、貧しい食べ物として嫌われがちなマクドナルドですが、ロシアや中国では生活のステイタスとして人気が出ました。

 ところで、マクドナルドの商品は世界中どこでもほとんど同じ品質が保たれています。ですからハンバーガーの値段は、それぞれの国の原材料費や光熱費、労働賃金などの違いで変わってきます。このことをうまく使って国の経済力を計る指標に、ビックマック指数(Big Mac index)というものがあります。

 イギリスの経済専門誌「エコノミスト」(The Economist)によって提唱されたこの指数、どうやって使うのでしょうか? 今、ビックマックが日本で250円だったとします。そしてアメリカでは2ドル。すると、250を2で割って125。つまりビックマック指数では1ドル125円ということになります。世界の為替市場とビックマック指数、あなたはどちらを信用しますか?




 ★ Website 

 「roadsideamerica.com

 ロードサイド・ドットコムという、ハイウェイ沿いにあるミュージアムや記念館を紹介したサイト。レイ・クロックによるマクドナルド1号店、その原寸(!?)サイズのレプリカの写真があります。


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2010/01/09(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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