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【エッセイ#19】 「空」

 ニューヨーク育ちのアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)は、当時アメリカでは単なる記録媒体でしかなかった写真をアートの表現手法として啓蒙しました。ヨーロッパではフォーカスを甘くした絵画風の写真が主流でしたが、アルフレッドはあくまでストレートな写真による表現を貫きました。その代わり雨や霧の中で撮影し、独特の世界を演出したのです。

 こうしてアメリカにおける写真アートの第一人者となったアルフレッド、1905年にはニューヨークの5番街291番地に、世界最初の写真ギャラリーのひとつとして知られる「スタジオ291」をオープンしています。そこで彼は、新しい芸術家の発掘に力を入れ、多くの若手を育てていました。アメリカの女流画家ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe)も「スタジオ291」から名声をあげた芸術家のひとりです。

 ウィスコンシンの農家に生まれたジョージアは、ヴァージニアとウィスコンシンのいくつかの学校で芸術を学んだ後、テキサスの大学で教師を務めるようになります。当時のアメリカで画家として認められるためには、ヨーロッパで学ぶことが必要条件とされていました。ですから自己流で絵を描き続けたジョージアがかりに才能にあふれていたとしても、画家として生きていくことは簡単なことではありませんでした。しかし美術の講師としての自分の人生に疑問をもったジョージアは、ある日こう決心してニューヨークに向かいます。

 「少なくとも私は描きたい絵を描き、言いたいことを言う」。
 「さもなければ、私は大バカ者だ」。

 そしてジョージアは「スタジオ291」でアルフレッドと出会うことになります。すでに世界的な写真家として知られていたアルフレッドは、ジョージアの絵に衝撃を受けました。そしてジョージアもまた、アルフレッドの感性に感化され、自らの作品を豊かにしていきました。ふたりは手紙を交わす間柄となり、やがて結婚します。

 雑多な都会暮らしの中で、ジョージアはいままで誰も見たことのない絵を描きました。それは大きな花の絵でした。巨大な花芯、キャンバスからはみ出る花びら。忙しく街を行き交うニューヨーカーたちも、本来は掌ほどの花が異常なほど大きく描かれている彼女の絵を目にし、思わず足を止めるほどでした。

 「(彼女の絵を見ていると)まるで自分が蝶になったかのように感じる」。

 ジョージアが巨大な花を描いたのは、忙しく生活する都会の人々に花を愛でるときの静かで深い安らぎを伝えたいと思ったからでした。しかし普通に描いたのでは誰の目にも留まらない。だから彼女は、うんと大きく描いたのです。そしてその目論見は成功しました。「花」の成功により、ジョージアは画家として認められるようになったのです。

 ジョージアより24歳年上のアルフレッド。年齢差や価値観の違い、芸術に対する姿勢の違いこそあったものの、ふたりは信頼しあっていました。しかしアルフレッドがニューヨークに腰を落ち着けて作品を作るタイプであったのに対し、ジョージアは気の向くままに旅をして、何ヶ月も家に帰らないこともありました。そして30歳のある日、ニューメキシコの荒野が彼女の心をとらえました。ニューヨークとニューメキシコを行き来する生活、やがてゴーストランチに家を買い、より多くの時間をそこで過ごすようになります。彼女が心を惹かれたもの、それは「骨」でした。砂漠に散在している動物の骨。それを持ち帰り、家に飾っていたのです。ジョージアは骨についてこう語っています。

 「美しさにも関わらず、ひとかけらの優しさももちあわせぬ砂漠。骨は、そんな砂漠の中で生命力に輝いている」。

 アルフレッドの死後、ジョージアはアメリカ芸術文学アカデミーに選任され、ますます画家としての人気を得ていきます。しかし62歳の時、全てを捨ててゴーストランチに移り住みました。そして98歳でこの世を去るまでの最後の10年間をサンタ・フェ(Santa Fe)の街で暮らしたのです。年老いて目に病を持ち、絵を描くことをやめた後も彼女が最後まで追い続けていたのは空でした。空の色とカタチを探していたのです。

「私の青い空。まだ誰も来たことのないとても遠いところ。ここでは自分自身であることがすべてだった」
  ー ジョージア・オキーフ




「頭骨と空」

 彼女の人生の後半部分をもう少しだけ紹介します。

 ジョージア・オキーフを名のある芸術家にしたのは巨大な花の絵でした。それらはニューヨークで描かれたものですが、彼女の心の中では荒野の美しさがいつも彼女を呼んでいたようです。彼女自身、子供の頃から心の中の声が「遠いところから、いつもわたしを呼んでいた」と言っています。

 彼女の後期の作品は、荒野と動物の頭骨、そして花が描かれています。ある日ジョージアはバラの造花を手に物思いにふけっていました。すると呼び鈴の音がしたので、テーブルの上にあった馬の頭骨の目の部分にバラをさし、席を立ちました。そして部屋に戻ってきた彼女は、頭骨とバラの組み合わせを見て「これこそ私が描きたかったもの」だと気づいたのです。

 こうしてただ拾い集めていただけの動物の骨が、彼女の絵のモチーフになったのです。荒野の風景、空に浮かぶ頭骨と小さな花。ジョージア・オキーフの新たな世界が始まりました。

 「骨盤を描き始めたとき、私は骨の穴に一番興味があったのです。その穴を通して見たもの、とりわけ自分の生きている世界で地面よりも空の方が広いことを感じたいときにするように、空に向かって太陽にその骨をかざした隙間から見える青に。骨たちは、人類が滅亡してからも今と変わらずそこに存在する青、そのような青を背にするときが一番すばらしいのです」(*)

 彼女は骨を通して空をみていたのです。

 本当のことを言うと、ジョージア・オキーフの絵よりも彼女自身にとても魅力を感じます。特に絵を描くことをやめ、陶磁器を創っていた頃の彼女の顔が大好きです。いつも黒と白を基調にした地味な服を着て、どこか遠くを見ているあの目が大好きです。

 彼女は色彩に関してこだわりがあり、自分の着る服に気を使い始めると、芸術に使う時間がなくなるからと、いつもモノクロの服を選んでいたという話を聞いたことがあります。身の回りも必要最低限のものしかもたず、とてもシンプルな生活をしていたそうです。

 小野洋子さんもシンプルな生活を好む女性です。ジョージアのまなざしをみていると、小野さんの目に似ていると思うのは、ボクだけでしょうか?

「空より素敵なアートなんて、あるのでしょうか?」
  ー オノ・ヨーコ

* 出典:「ジョージア・オキーフ・ニューベーシック・シリーズ」 ブリッタ・ベンケ著 タッシェン・ジャパン発行 2002年 ISBN: 4887831528




★ Websites

Alfred Stieglitz, Georgia O'Keeffe & American Modernism

 アルフレッド・スティーグリッツの代表作が見られます。

Georgia O'Keeffe Museum

 サンタ・フェにあるジョージア・オキーフ・ミュージアム。



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2010/02/13(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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