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【エッセイ#20】 「ボニーとクライド」

 テキサス生まれのクライド・バロウ(Clyde Barrow)。子供の頃から気性が荒く17歳でギャングの仲間入り。クリスマスに七面鳥を盗んだのを手始めに、やがて自動車泥棒をするまでになりました。問題は、警察のやっかいになっても家族の誰もクライドを非難したりはしなかったこと。それどころか「おまえは悪くない」という態度だったそうです。やがて兄と共にダラスで強盗の常習犯になっていきました。

 同じくテキサス生まれのボニー・パーカー(Bonnie Parker)。父親が早くに亡くなったため、残された家族はダラス近郊にある祖母の家にやってきました。ボニーは学校の成績は良かったのですが、暴力的で、暴れ出したら手がつけられないという一面もありました。16歳の時、高校の同級生と結婚すると18歳でウエイトレスとして働くようになります。ところが旦那は腕のいい金庫破り、やがて銀行強盗の容疑で逮捕され刑務所送りになります。ボニーがクライドと出会ったのは、そんなある日のことでした。

 貧乏な家庭で育ったボニー。少しばかりの贅沢にあこがれながら、現実は退屈な生活の連続。そんな中に現れたクライドは、いつも警察に追われている自動車泥棒。彼女にとって、ちょっと危険で魅力的な男だったのです。ところがふたりが出会って2週間目にクライドは逮捕されます。

 時代は1930年、看守による暴行や虐待が堂々と行われていた時代です。クライドにとっても、刑務所での生活は辛いものでした。自分よりも大きな体の看守から、殴る蹴るの暴行を受ける毎日。やがて彼は復習の計画を立て始めます。釈放されたら派手に儲けてギャングを大勢雇い、刑務所を襲って受刑者たちを解放しようという計画です。

 一方、文通を通してボニーとの愛も生まれていきました。女性は苦手だったと言われるクライドも、獄中での辛い毎日を彼女からの手紙で慰められたのでしょう。詩を書くことが大好きだったボニーは、ある日こんな言葉を手紙に添えていたそうです。

 「もしもあなたと1週間でもいいから一緒に過ごせたら、私はいつだって死ねるよ」。

 クライドが釈放されると、ふたりは銀行強盗を始めました。そしてある日、宝石店に押し入り店主を殺したのをきっかけに、カネを盗むために人を殺すことすら平気になっていったのです。警察に追われながらもふたりは逃げ延びました。カネが手にはいるとドレスを買ったりレストランで食事をして楽しみました。それが、彼らが憧れた小さな贅沢だったのです。

 不思議だったことは、新聞が彼らの犯罪を書き立てると、なぜか彼らをヒーローのように受け止める市民が少なくなかったことです。彼らをかくまった罪で起訴された人もいました。不況と禁酒法の中で、市民のストレスは相当なものだったのでしょう。そんな中で銀行や宝石店を襲い、警察から逃げ回る彼らを応援したくなったのでしょうか?

 ところで、彼らはどのくらい稼いでいたのでしょう? 実はほとんどお金なんて盗むことができなかったのです。当時、アメリカは大恐慌のまっただ中。押し入った先の銀行が倒産しているということもありました。商店も不況で売り上げもなく、殺人まで犯して奪ったカネがわずか数十ドルということもあったそうです。

 ふたりは家族や友人にかくまわれながら、何度かダラスに戻ることもありましたが、警察からの追跡は厳しくなり、ろくな稼ぎもないまま、飢えをしのぎながらの逃亡生活に疲れていきました。

 1934年5月23日の朝、ギャング仲間の家族の裏切りで警察に情報が流れ、ボニーとクライドはルイジアナ州ギブスランドで待ちかまえていた警官隊に射殺されました。ボニー23歳、クライド25歳。50発以上の弾丸を受けた2人の死体は、ダラス市内の別々の墓地に葬られました。いつか死んだら、ふたり並んで墓に入れて欲しいと願っていたボニー。そんな願いも、彼女の母親の反対のために叶えられなかったのです。




「禁酒法」

 アメリカでの禁酒法は1851年にメイン州で始まったのが最初、それが1920年には全国で施行されるまでになりました。禁酒法とは、酒、つまりアルコール飲料の製造と販売を禁止する法律です。もともと清教徒を中心にアルコールに対する批判があったのが禁酒法のきっかけのようですが、これがアメリカ全土へと広がった理由には、当時アメリカの酒造・販売業界を取り仕切っていたドイツ系移民への反発があったという説もあるようです。

 この法律の面白いところは、アルコール飲料の製造と販売は禁止していても、飲酒という行為は禁止されていなかったことです。ですから法律が施行される前に「買いだめ」していた人も多く、実際、街から酒が消えるとまではいかなかったのが現実でした。しかもお隣のカナダまでいけば当然合法的に買えるわけですから、どこまで意味のある法律だったのか疑問が残ります。

 禁酒法による悪影響もありました。「アンタッチャブル」でおなじみのアル・カポネのように、マフィアやギャングが酒の製造・販売を取り締まる役人を買収していました。いわゆる「闇酒」が流通していたのです。

 ボニーとクライドが中西部や南部で強盗を繰り返していたのは、全国的に禁酒法が施行されていた30年代初頭でした。1929年10月のブラックサーズデーをきっかけに始まった大恐慌も重なり、酒の取り締まりを受け、カネもない人々にとっての敵は、まさに警察と銀行だったのでしょう。そんな時代背景が、ボニーとクライドを英雄にしてしまったのかもしれません。

 1933年12月、禁酒法はルーズベルト大統領によって廃止されました。しかし今でもアルコールに対する風当たりはそれなりに残っています。モルモン教徒の多いユタ州でのアルコール販売に対する厳しさを、ソルトレイクでの冬季オリンピックで知った方も多いでしょう。南部では休日に酒類を販売してはいけない州があります。カリフォルニアなどでは、必要以上に酒を飲むことは薬物中毒の一種としてとらえられることもあり、建前としてはあまり褒められた行為ではないとされているようです。




★ DVD

俺たちに明日はない

 ボニーとクライドの物語をロマンティックに美化した映画。監督はアーサー・ペン。出演は、クライドにウォーレン・ビーティとボニーにフェイ・ダナウェイ。



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2010/02/20(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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