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【エッセイ#21】 「アポロ計画」

 「ソ連より先に人間を月に着陸させることが最優先だ」

 「いや、その前に月の環境をもっとよく知るべきだ」

 2001年、ジョン・F・ケネディー図書館が公開した録音テープには、宇宙開発計画についてケネディー大統領とNASA(米航空宇宙局)のウェッブ長官のあいだに繰り広げられた、激しい議論が残されていました。この中で政治家ケネディーはソビエトとの競争を強調、月への有人飛行が最優先との主張をしているのに対し、科学者ウェッブは有人飛行はプロジェクトのひとつではあるが、飛行士の安全のためにも、まずは月の環境について十分に調査することが最優先だと意見しています。

 このテープが録音された前年の1961年、すでにケネディーは「我々は月へ行くという選択をした。60年代が終わるまでに月へ行く」というあの有名な議会演説をしています。当時、ソ連はすでに人類初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功、ケネディーの議会演説の1ヶ月半前には有人飛行にも成功していました。そして月へ無人探査機を送る「ルナ計画」も始まっていたのです。

 自国上空をソ連の人工衛星が飛ぶと言うことは、アメリカにとって大変な軍事的驚異だったのでしょう。さらに月の所有権を主張されるかもしれないという恐怖もあったようです。ケネディーは1962年の11月に暗殺されますが、大統領の約束を果たすべく、アメリカは史上最大の宇宙開発プロジェクトを続けました。しかし1967年に予定されていた月への有人飛行計画は、このときすでに約2年の遅れがでていたのです。

 「アポロ」と名付けられた月への有人飛行計画は、3回に渡る無人ロケットの打ち上げテストの後、ついに1967年2月、有人で司令船の飛行テストを行う予定でした。しかし打ち上げまであと1ヶ月とせまったある日、司令船の内部で火災事故が発生、訓練中の飛行士3人が亡くなりました。高純度の酸素で満たされた船内での漏電が原因だったようですが、火災により内部の気圧が上がった状態では内側に開く構造のドアを開けることができず、事故は最悪の結果になってしまいました。この影響で有人飛行テストは延期、計画はさらに遅れていきます。

 事故のため中止された飛行テストはアポロ計画としては4回目の打ち上げになるはずでした。しかし事故で亡くなった飛行士たちが生前に残した「アポロ1号という名前は、初の有人飛行のためのものだ。私たちが飛ぶまでこの名前で呼ばれるロケットはない」という言葉が尊重され、以後、これが「アポロ1号」と呼ばれるようになりました。それ以前の無人ロケットはそれぞれアポロ1A、アポロ2号、アポロ3号と解釈し、1967年11月に再開されたアポロ計画の次なるロケットはアポロ4号と呼ばれました。

 結局、アポロ計画として初めての有人飛行は、翌1968年10月に打ち上げられたアポロ7号で実現しました。その後、月への周回軌道を飛行するテスト、司令船と月着陸船とのドッキングテストなどを経て、いよいよ人類初の月への第一歩を踏むためにアポロ11号が飛び立ったのは、1969年7月16日のことでした。

 ケネディー大統領が約束した「60年代のうちに・・・」という期限は目前に迫っていました。NASAは、もしもアポロ11号が月面着陸に失敗したときのために、9月にはアポロ12号を、そして12月にはアポロ13号を予定していました。なんとしても60年代のうちに人類を月に送り込もうというアメリカの意地だったのでしょう。一方、無人探査機による月面着陸計画を進めていたソ連は、アポロ11号の打ち上げより3日前にルナ15号の打ち上げに成功、探査機は月面着陸をめざして月への飛行を続けていました。

 1969年7月20日、アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン飛行士は月面着陸に成功、21時間の滞在の後、地球へ向けて帰還の途につきました。アメリカの月着陸船が離陸準備をはじめた頃、ソ連のルナ15号は月面着陸に失敗。「危機の海」に激突しました。

 アポロ11号の成功により、アメリカはソ連との宇宙開発競争に大逆転しました。翌年4月に打ち上げられたアポロ13号が事故のため月面着陸を断念した他は、1972年12月、アポロ計画最後の飛行となったアポロ17号にいたるまでに、12人の飛行士たちが月面着陸に成功しています。

 その後、米ソの宇宙開発は競争から離れ、両国はアポロとソユーズによる共同プロジェクトを行う一方、アメリカは宇宙輸送システム「スペース・シャトル」の、ソ連は宇宙ステーション「ミール」の開発へとそれぞれ独自の道を進むようになりました。そして現在、国際宇宙ステーションにはアメリカとロシアの宇宙飛行士が一緒に滞在しています。




「To the Mars」

 2004年1月、ブッシュ大統領は、アメリカが新たな有人宇宙計画に向けて動き出すという内容の演説を行いました。具体的には、まず月面に基地を作り、そこを足がかりに火星への有人飛行を行うというものでした。

 いつの時代も宇宙開発における一番の難題は資金です。当初20号まで予定されていたアポロ計画は17号で打ち切りになり、それ以後、アメリカは月への有人飛行を行っていません。主な理由のひとつは「(有人飛行は)カネがかかりすぎるから」です。月面探査にしろ惑星探査にしろ、無人探査機でできることはまだまだたくさんあります。

 そして今や、火星への有人飛行を目指しているのは国家だけではありません。インターネット起業家として大成功を収めたイーロン・マスクさんは、自ら起こしたネット企業を手放すと、宇宙探査を行うための「Space Exploration 社」を設立しました。彼は宇宙飛行のコストを従来の2/3にまで落とそうと努力しているのです。またイーロンさんは、人類を火星に送るという計画は、国と民間を巻き込んだ国際的なプロジェクトになるだろうと話しています。

 ところでブッシュ大統領は、新たな宇宙計画のためにどれほどの費用を捻出する予定なのでしょうか?この計画のための当初の予算は、最初の5年間で少なくとも120億ドルほど必要だと言われていました。それに対してホワイトハウスが予定していた費用は10億ドル。残りは「スペースシャトル計画」や「国際宇宙ステーション」の分をまわしてまかなうとのこと。さらにロシアの協力も期待していたようです。

 一方、惑星協会のフリードマン博士は「火星への有人飛行には1回500億ドルはかかるだろう」と考えていたそうです。ちなみに、60年代に行われたアポロ計画では、当時のお金で300億ドルかかったそうです。

 もうひとつ興味深い数字があります。当時アメリカが1年間イラクを占領するためにかけた費用が、だいたい500億ドルだったそうです。この数字をみると、宇宙開発の難題は、はたして本当に資金の問題なのだろうかと考えてしまいます。




★ Websites

Johnson Space Center

 ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターのサイト。スペースシャトルをはじめ、国際宇宙ステーションの管理をしています。センターの見学施設についてのサイトはここ → http://www.spacecenter.org/



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2010/03/06(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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