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【エッセイ#29】 「WTC」

 「例えばニューイングランド地方にあるような教会の尖塔が真っ青な空に向かって突き立っているのを見ると、なんか、こう、興奮してくるよね。なぜならその光景はまるで何かに向かって手を伸ばしているような、何か大望を達成しているような感じにさせるからだと私は思うんだ。そしてそういう感情は、我々のありふれた日常生活の中でとっても大切なんだ」(*1)


 建築家ミノル・ヤマサキ(Minoru Yamasaki)は1912年12月1日、シアトルで生まれました。両親は富山県出身の日本人。貧しい家庭で、缶詰工場で働きながら学生時代を送ったそうです。地元のワシントン大学を卒業後、ニューヨーク大学で建築設計士の博士号をとるとエンパイアステイトの設計で知られるShreve, Lamb and Harmon事務所、ロックフェラーセンターを手がけたHarrison, Fouilhoux and Abramovitz事務所などを渡り歩き、1945年にはデトロイトのデザイン建築会社Smith Hinchman & Gryllsのチーフデザイナーに抜擢されました。

 日本による真珠湾攻撃があった1941年にピアニストのテルコ・ヒラサキさんと結婚。当時、戦争のため多くの日系アメリカ人が収容所に集められていましたが、建築家として高い評価を得ていたミノルは収容所に送られることもなく、確実にキャリアを積み重ねていきました。そして1949年、会社の同僚2人と組んで独立。新しい建築事務所はドーム状デザインで知られるセントルイス空港の建設で瞬く間に注目を集めたのです。その後もアメリカ建築家協会(AIA)から4度も表彰を受けるなど、世界的な建築家として認められていきました。


 ニューヨーク州とニュージャージー州の共同出資で運営されている公団「ポート・オーソリティー・オブ・ニューヨーク・アンド・ニュージャージー」(The Port Authority of New York and New Jersey)は、ウォール街に隣接するマンハッタン南部に国際貿易を担う新しい経済地域の開発を計画していました。当時のポート・オーソリティ局長オースティン・トービンと、やはり南部再開発に意欲的だった後のロックフェラー・グループ会長デイビッド・ロックフェラーが中心となり、都市開発のための諮問委員会を設立しました。3人の建築家が集められましたが、彼らのプロジェクトはあまりにも高額な費用を必要としたため却下、かわって指名されたのがミノルでした。

 このプロジェクトのためにミノルは100種類以上にも及ぶ模型を作ったそうです。150階建ての超高層ビルや、いくつものタワーからなるビル群といった都市開発案のなかから選ばれたのは、プラザと呼ばれる広場を囲むように大小6つのビルが建ち並んだモデルでした。この中で最も象徴的だったのは、410mの高さをもつ第1ビルと第2ビルです。110階建てのこのツインタワーに入ると巨大な吹き抜けのロビーが広がっていました。柱を極力減らし、オフィス・スペースを最大限に得られるように工夫された建物は、ビルの重さを支える中央のチューブ構造と風圧を支える外側の鉄格子から構成され、ダブル・チューブ構造、もしくは鳥かご構造などと呼ばれていました。予想を越えた非常識な負荷が掛けられなかったら、あと100年は問題なくビルを支えていただろうと言われています。

 こうして生まれたWorld Trade Centerには5万人の人が働いていました。機能性を重視したモダン建築に人間の安らぎを取り入れたミノルらしいこの作品は、ニューヨークだけでなくアメリカ合衆国の象徴のひとつとして今でも愛され続けています。


 「その辺を歩いている普通の人にとって高層ビルの何がすごいのかって言ったらやっぱり、その空に向かってそびえ建つ感覚とその高さだよね。だから、天に舞い上がるような感覚、もしかしたら中世の時代に大聖堂の中へ歩いて行く男が持っていたような大望感と言いかえられるかもしれない」(*2)

(*1,2)Minoru Yamasaki interview. 1959, August. Archives of American Art, Smithsonian Institution.「ミノル・ヤマサキの建築デザイン模型展示会」にて収録されたインタビューより。
翻訳・著作:COLONGLOBAL.COM





「ビューティフル!」

 一ノ宮賢治さんはミノル・ヤマサキの元で働いたことのある建築設計士です。大学を卒業後ひとりアメリカに渡り勉強のためにと無給でとある建築事務所に入りますが、そこは田舎の牧場地帯にありました。ニューヨークのビル街にうもれて仕事をすることを夢見ていた一ノ宮さん、ある日、小さなクルマでニューヨークへと向かいます。しかし仕事に就けるあてもなく、日本からの持参金も底をついて途方にくれていました。

 何件かの建築事務所に「雇ってもらえないか?」と手紙や電話で売り込んだところ、「ちょうど人を探しているから明日からでも来てくれ」と言ってきたのがミノル・ヤマサキの事務所でした。70人ものスタッフが働くオフィスはデトロイトの高級住宅街のなかにありました。ちょうどWTCの仕事が舞い込んできた頃で、オフィスはものすごい活気に満ちていたそうです。

 一番の想い出はミノル・ヤマサキから褒められるときの「ビューティフル!」という言葉だそうです。模型を作っていても、それが美しくないと何も言わずに素通りしていくだけ。しかし、会心の出来のときには「ビューティフル!」ととても喜んでくれたそうです。

 一ノ宮さんはツインタワーの足元のアーチを担当、何百もの模型を作ったそうです。

参考文献:月刊「建築知識」



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2010/05/01(土) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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