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【エッセイ#43】 「Chocolate Town」

 ヘンリー・ハーシー(Henry Hershey)は読書好きの好奇心旺盛な男でした。家族思いの良い父親ではありましたが、ビジネスの才能はまったくなく、生涯、金銭的に成功することはありませんでした。妻のファニー・ハーシー(Fanny Hershey)は気の強い女性で、夫の失敗にいつもイライラしていたそうです。ふたりはドイツやスイスからペンシルヴァニアへ移民してきたメノナイト派キリスト教徒の家系に育ち、いつも質素な生活を心がけていました。

 そんなふたりの間に生まれた息子のミルトン・ハーシー(Milton S. Hershey)は、やはりメノナイト派の人たちが使う古いドイツ語(Pennsylvania Dutch)を話しましたが、宗教的にはまったく自由に育てられました。ヘンリーとファニーは、もし「君の宗教は?」と聞かれたら、それは「黄金律」であると答えるようにミルトンに教えていました。「黄金律」とはつまり「あなたがして欲しいと思うことを他人にしてあげなさい」という、多くの宗教の基本となる教えです。

 ミルトンが生まれたのは1857年9月、南北戦争がはじまろうとしていた頃でした。学校はランカスターで7年生まで通いましたが、集中して勉強することはなかったようです。父親ヘンリーは、ミルトンが14歳になるとペンシルヴァニアのドイツ語新聞の編集部に彼を働きに出しました。しかしミルトンはこの仕事が大嫌いで、すぐに辞めてしまいます。次に母親のファニーがキャンディーとアイスクリームの製造会社に就職口を探してきました。ミルトンはここで、キャンディの作り方の基本を学ぶことになったのです。

 4年後、ミルトンは独立してフィラデルフィアで自ら菓子製造業をはじめました。母親が資金援助をしてくれて、叔母と一緒に会社を手伝いました。彼らは懸命に働きましたが、なかなか利益はでません。結局、6年間がんばったあげく、会社は倒産してしまいました。

 その頃、コロラドを旅していた父のヘンリーから励ましの手紙が届いていました。ヘンリーは手紙でいつも「コロラドは有能な起業家を探している。ここにはチャンスがある」と書いていました。会社を失ったミルトンは、父の言葉を信じてコロラド州デンバーへと旅立ちました。しかし不運なことに、デンバーはちょうど不況に陥ろうとしていたのです。起業のための資金を調達するのは難しいと判断したミルトンは、そこでキャラメル会社に就職口をみつけました。彼はここで新鮮なミルクを使ったキャラメルの製造方法を教わると、その技術を元に新たなビジネスを立ち上げようとデンバーを後にします。起業のチャンスを探してニューヨークへやってきたミルトンは、そこで2度目の挑戦を始めたのです。

 しかし結果はまた同じでした。会社は利益が出ず、倒産してしまいます。1886年のことでした。「自分も父親と同じでビジネスの才能はないのだろうか?」ミルトンは思い悩みながら、ランカスターへ戻ってゆきました。

 ところがここで突然、幸運の女神はミルトンに微笑みかけてきたのです。昔、フィラデルフィアの菓子会社でミルトンを手伝っていた元従業員が、資金援助を申し出てくれたのです。それを元に原料を調達すると、すぐに新鮮なミルクを使った新しいキャラメルの製造をはじめました。母親や叔母も再び駆けつけ、ミルトンを手伝いました。「お口の中でとろけるキャンディ」とうたった新製品 "Hershey's Crystal A"はヒット商品となりました。イギリスの輸入業者から大量の注文が入ると、銀行は工場新設のための資金援助を惜しみませんでした。こうしてミルトンは瞬く間にランカスターで一番の成功者に数えられるようになったのです。若い頃からの菓子づくりの経験と辛抱強さがもたらした成功でした。

 ミルトンはビジネスマンとしての才能をしっかり持っていました。「これからの時代、キャラメルではなくチョコレートだ」と判断すると、ようやく彼を億万長者にしてくれたキャラメル会社をライバル企業に売却してしまいました。そうして得られた資金を使って、今度はミルクチョコレートの開発を始めたのです。キャラメル会社から残った何人かのスタッフと共に、ミルトンは寝ずに新製品の開発に取り組みました。

 新しいミルクチョコレートが完成したのは1900年後半のことでした。爆発的な売り上げを記録したこのミルクチョコレートは、"The Hershey Chocolate Company"をみるみるうちに全米一のチョコレート会社にのし上げたのです。キャラメル会社を売却し、チョコレート開発に集中したミルトンの戦略は正しかったのです。

 チョコレートがもたらした莫大な富を使って、ミルトンは2つの大きな計画を実行しました。ひとつは「ハーシータウンの建設」。もうひとつは「孤児のための学校の設立」でした。

 工場で働く人々のために町をつくることは、決して目新しいことではありませんでしたが、彼の計画は徹底していました。居住施設はもちろんのこと、銀行、ホテル、学校、教会、公園、ゴルフ場、そして公会堂や動物園に交通システムや電話網まで造ると、それぞれが経営面でも成功を納めていきました。

 結婚はしていましたが子供に恵まれなかった彼は、学校の建設にも意欲的でした。特に孤児のための学校 "Hershey Industrial School" (現 Milton Hershey School)は、教育はもちろん、子供達への衣食住の提供や健康管理もしています。また将来のための職業訓練プログラムを提供、チョコレート・タウンで育った子供達が、チョコレート工場で働くことを可能にしたのです。




「ハーシー・ワールド」

 まず企業、つまり働く場をつくり、そこから生み出されたカネで基本的なライフユーティリティから公共施設までもつくってしまったハーシー・チョコレート。実はこの町は観光で訪れる人々のための施設も揃えているのです。

 1930年の大恐慌時、ミルトンはハーシー・タウンの開発方針を変更しています。不況で職にあぶれた人たちを雇い入れ、観光客のためのアトラクションの建設を始めたのです。それまで市民のために進められていたプロジェクトは、ホテルや劇場、スポーツ競技場などに変わってゆきました。このプロジェクトのおかげで600人以上の人たちが職を得ることができたそうです。

 現在ペンシルヴァニアのハーシー(Hershey, PA)には、ハーシー・チョコレートの歴史を展示した「ハーシー・ミュージアム」やローラーコースターなどのアトラクションが楽しめる遊園地「ハーシー・パーク」、バラ園を中心とした植物園「ハーシー・ガーデン」をはじめ、ゴルフ場やホテル、動物園などがあります。


★ Website

Visit Hershey

 Hersheysのウェブサイトの中から、観光客のためのアトラクションを案内しているページです。遊園地「Hersheypark」はこちら



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2011/05/16(月) | 【エッセイ】 | トラックバック(0) | コメント(0)

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